この映画のポスターつーかメインヴィジュアルを描くのはやはりロッキンジェリービーン。
個人的に知ってる人ばかり描かれていて面白い。
VIDEO 1月半ばからやってて、公開日から行きたいと思ってたが、何かとあり東京最終日にやっと行けた。
しかし、これ作るのにどれくらい期間かかってんのか知らないけど(どっかで6~7年って言ってたかな)、相当な手間暇時間かけて作ったものであることは明らかだが、そういうもんでも2週間とかしか公開できないんだもんな。
その後のDVD化とかグッズ販売とかもあるだろうけど、なかなか金にはならんと思うよ。
実際、この映画の監督も語学の先生をしながら、週末になると都内のライブハウスに出かけてビデオを撮って、というカンジだったみたい。
つまり、金にならんことを、この国の人ではない人が、情熱のみでこの国で起きている事柄について撮影した映画であるということ。
と、ここまでは事前情報で知っていたが、実際見た感想としては、チョー面白かった!
今更書くことでもないけど、てか、もう再度書かないと知らないとか忘れたってくらい昔のことか、俺がシェルターで働きはじめたのって、上京してすぐくらいにMAD3のライブ見に行ったんだけど、はじめて生で見たMAD3は完全にその後の俺の人生を捻じ曲げるほどキョーレツで、帰って住みはじめたばかりのテレビも布団もない部屋で耳鳴りがする中「あそこでバイトしよ」と考えていた。そんで履歴書持ってまた行ったら働かせてくれた。
とか書くとまるでバカの日記だが、まあでもそんなカンジw
そんで働き始めて、店のスケジュールを見るとまたすぐMAD3のライブがある!それがノブさんのハロウィン企画だった。
俺はシェルターでは遅番やってて、遅番は通常開店する30分前くらいに入って、その時間はその日一番最初の出番のバンドがリハしてて、リハと同時進行で開店準備する、ていうカンジなんだけど、その日のハロウィンのライブはたくさんバンドが出るので開場時間が早く、いつもどおりに出勤するとすでに開場してて、というか、なんか普段のシェルターに無い、ハロウィン用の飾り付けが店内中に施され、特別感があった。
俺も後々にそう思うようになるのだが、やはりたくさんバンドが出るような企画って忙しいし、素行の悪いやつとかいるし、店員は結構嫌がるもんなんだけど、このノブさんの企画はバイトの先輩達も嫌そうじゃなく楽しんでるカンジがした。
そんで確かその日のトリだったと思うんだけど、MAD3がライブやって、俺はまだ新入りで何もできないのでカウンターから見てただけだったが、そんなことは関係なくサイコーだった(その後ステージの照明を覚えるが、それからはシェルターでMAD3がやるときはずっと俺が照明やってた)。
ライブが終わると店内での打ち上げになるんだけど、参加人数は多いし酒飲みばかりでメチャ忙しかった。
でも、そんな忙しい中、そんときの店長にMAD3が好きってことでエディーさん紹介してもらったり、ノブさんやはっちゃくさん、あとそんとき企画手伝ったりしてたナガイさんとか、店員とバンド、あるいは店員と客、みたいなカンジでもなく、皆気さくに話してくれた。
これはもちろん、俺だけではなく、みんなにそういうカンジだったように思う。
で、この辺界隈のライブにしょっちゅう来てて、ライターとかもやってるツネさんという人、まあこの映画にも随分出てるけどw、この人が俺の実兄の友達の友達みたいなカンジで、俺が東京行くつーんで、兄貴の友達が「よろしく頼むわ」って言ってくれたみたいでその後大変世話になる。
それからしばらくして、いつものように夜のシェルターで仕事してたら、同い年くらいの派手なカッコしたやつがメンバー募集貼ってくださいって来て、見たらギターウルフ、MAD3、あとピストルズやジョニーサンダースとかだったかな、そんなカンジのバンド名が書いてあって、「へえ!俺も好きなんだよね!」とか話し、後日そのメンボのとこに電話してスタジオ入ったんだが、奴らはナガイさんと一緒に住んでるというし、ノブさんの企画にも出たという。ショットというバンドだった。ベースのキング(見た目はまんまシドビシャス)は下北のヴィレッジヴァンガードの裏にあったバイカーぽい店でバイトし始めて、俺がバイト休みんときはしょっちゅう行ってダベってた。
それからまた少し経ち、シェルターの系列のロフトレコードに浦野さんという人が入ってきて、この人もスナッズやティーンジェネレイトとか好きな人で、また人当たりもよく、すぐに仲良くなった。
で、スーパースナッズがロフトレコードに移籍し、浦野さんの紹介によりメンバーとも仲良くさせてもらい…というか、度を超えた友達になったw
それ以前にもロフトレコードには太田さんて人がいて、その人もMAD3が大好きな人でロフトレコードからライブ盤も出してた。
こうなると、もう俺の生活のすべてはシェルターで、その大半はこの映画でいうガレージシーンだった。
もちろん、他にもガレージとは遠いようなディーパーズとかブッチャーズ、NAHTとか好きなバンドもあったが、その辺界隈にいるのが一番心地よかった。
ゼロからのスタート、というほどではないけど、あまり友達もいない東京でのこれからがとても明るくなったような気がした。
俺が東京に出てきて見たガレージシーンていうのは、この映画でいうところの第2世代になるんだろう。
定期的なBACK FROM THE GRAVEはやってなかったし(でもハロウィン以外にも何かちょいちょいやってたような気がする。大晦日とかもロフトでやったり)、ノブさんとはっちゃくさんでハロウィンやってたし、テキサコも最初出てなかったし。
映画には出てこなかったが、この頃ギョガンレンズが人気があって、ノブさんの企画とは別で、ノブさんがテキサコをメインにBFTG始めたようにギョガンレンズをメインにしたマーキービートというイベントもあった。これもシェルターでやってた。
これはどっちかつーと女性の客が多いイベントだったような気がする。企画してた方も女性だったし。
しばらくシェルターで働いたり、色んなとこにライブ見に行ったりしてるうちにバンドの友達も増え、自分でも企画をやるようになった。で、気づいたらヨソのライブハウスの店長までやってたw
ノブさんにDJやってもらったりもした。
渋谷ラッシュでブッキングやってたとき、もう一人ブッキングやってたマサルさんて人から「後輩のバンドでホリーの企画に合いそうなバンドがいるんだけど」と紹介されたのがフェイダウェイズというバンドだった。
そんで早速出てもらった。
彼らは今まさに第3世代の旗手といったカンジだ。
ラッシュでファイアースターターのアニキに一日店長をやってもらうという企画をやって、内容は好きな曲かけて好きな映像流して、みんなで勝手にギター弾いたり歌ったり、じゃんけん大会やったりwという、はたして企画なのかなんなのか、でも平日でライブがあるわけでもないのに毎回それなりにお客さんも来てくれてラッシュの名物になっていった。
これがぷあかうというイベントだった。
後にアニキは下北にぷあかうという名前で本物の居酒屋を立ち上げ、やはりここが多くのガレージバンド、ガレージファンの憩いの場となる。
この映画もぷあかうがなかったら、もしかしたら映画自体は作ったかもしれないが、もう少し違うカタチになってたのではないだろうか。
少なくともぷあかうでのインタビューは別の、ぶーふーうーとかになってただろうwぶーふーうーももう無いけど。
この店に集う、中上さんや飯島さん、ツネさんなど、ムーブメントをカタチにして世に出すことに長けている人達の尽力や、そこに感化された面もあるのではと個人的には思う。
で、そのうち俺はライブハウスをやめ、今はネット中心に古本屋やってんだけど、住居も東京を離れ(とはいえ浦和なので近いけど)、今までのようにいつもその辺にいるということはなくなった。
ノブさんの企画ももう随分行ってない。
なので、この映画の監督とも面識はない。
そういや、映画には出てこなかったけど、ドリルメンというバンドをやってた那須さんという人がいて、一時ノブさんはBFTGの企画を離れ、この那須さんがやってたらしいんだけど(この辺の話は映画のパンフで補足されてる)、那須さんは今俺と同業者だ。
同業者になってから知り合った。
面白いもんだ。
実際はわからんが、俺から見ると今那須さんはその界隈と少し距離を置いているように見える。
それは俺も同様で、というか、やはり自営でやってるとつねに仕事に追われるからな。
俺も別のことやってると、今まさにこのブログ書いてても、いいから仕事しろやってなるしな。
もしもなんてことはないが、今でもライブハウスやってたら、て考えることはある。
この話とはちょっと違うが、ノブさんがすごいと思うのは、今は知らないけど当時ガレージのイベントだけじゃなく、オイスカとかブルービートとか、スカとかレゲエ界隈のバンドともなんかやってたりして、この人いつ仕事してんだろ、とか思ったりした。
なんか段々映画とは関係ない話になってきるが。
そういうこともあり、あと正直たくさんバンドが出るライブハウスに長時間いることもしんどくなってきたつーのもあっての現状だが、そんなこととは関係なく、今でもあのイベントや、その界隈のバンドがやってるのは嬉しいし、多くの人にとっても貴重なことだと思う。
そしてそれが今こうして大々的な映画にまでなって楽しませてくれるんだから。
BFTGが人気がある秘密のひとつに映画の中でスナッズトモコさんも言ってたけど、敷居の低さていうのがあると思う。
ガレージと一口に言っても出てたバンドは様々で、あんまり小難しくシリアスなバンドは出てなかったと思うけど、こういうバンドじゃないと、みたいのはなかったし、バンド組んだばっかみたいな、正直ド下手なバンドも出てた。
これがバンドの目標設定として手頃だったのだろう。
目標ができれば動き出すからね。
前述したショットもそんなカンジだった。
で、バンドと客もすぐ友達になる。何せ、昨日までは同じように客だったわけだから。
そんでまたそこからそいつらがバンド始めたり、色々新しいことやり始める。
パンクの勃興と同じだな。
初期のパンクにはDOAという映画があるように、この映画も同じような役割を果たしていくのではないかと思う。
書き始めたら随分長々とした文章になっちゃった。
初期のことも最近のことも知らずに書いてるので異論反論は勘弁してくださいw
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