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ホリ袋

LIFE'S A GAS

サタデーナイト 

話が前後するが、先週土曜から2日間、REAL KIDS来日公演の代替ライブに行ってきた。
代替ライブつーのは、本当はボストンからREAL KIDSを招いて、初日はFIRESTARTER、2日めはTWEEZERSが前座でライブするはずだったんだけど、諸事情で来日できなくなり、急遽FIRESTARTER/TWEEZERSの呼びかけでバンドを集めてのライブ。
当初は久しぶりのFIRESTARTERは見たいけど、チケット代がな…(5800円とかだったかな)と、行かない予定だったんだけど、期せずして他にも見たいバンド、友達のバンドが出て、チケット代も安くなりw、こういうライブを企画してポシャってしまったんだ、きっと同じような志を持った誰かも困っているに違いない。行かないほうが狂ってる。

初日はFIRESTARTER / FLASHLIGHTS / RANGSTEEN / GORILLA / TITTY TWISTER、2日目がTWEEZERS / SUPERSNAZZ / HIGH LIFE / ROCK-A-CHERRY / BROKEN HEARTS。

FIRESTARTERの曲で「Saturday Night (Is The End Of The World)」という曲がある。
タイトル通り、世界の終わりは土曜の夜であってほしい、というようなことを歌っている曲。
同日のFLASHLIGHTSにも終わりかけのサタデーナイトという曲があった。
さらに次の日のTWEEZERSも「SATURDAY NIGHT」という曲をやっていた。

他にもBCRはじめ、世界には土曜の夜のことを歌った曲がたくさんある。
しかもそのどれもが大抵素晴らしい。(大袈裟に言ってるのでそうでもないのも多々あると思うw)
なぜこれほどまでに土曜の夜なのか。

先日ウチに入ってきた本でポールウェラーのインタビュー集があった。
160606_RUNNING ON THE SPOT
RUNNING ON THE SPOT The History of Paul Weller [ポール・ウェラー、その麗しき20年の軌跡] (ロッキング・オン)

そこには、イギリスの労働者階級の未来の無さを嘆き、そして自分も労働者階級出身であること、だからこそその歌は同じようなNO FUTUREな若者にリアルに響いていること、そしてクラッシュはホントはお坊ちゃん達だからリアルではないwてなことが書いてあった。
よくイギリスでパンクが爆発したのはNO FUTUREな労働者階級が多かったため、と言われるが、このインタビュー集ではまさにそれが真実として語られている。
で、そういう奴らが唯一魂を浄化できるのが土曜の夜であったのだろう。
現にジャムもSATURDAY'S KIDSやHERE COME THE WEEKENDといった曲を歌っている。

今俺がいるここは当時のイギリスとでは状況が違うので同列で語るのは無理があるかもしれないが、「誰かが得するように作られたシステムに自分でも知らないうちに組み込まれている」という点では大して変わらんだろう。
実際、俺のまわりにも月から金までは死んでいるようなやつはたくさんいる。
こうなると、どっちが正常でどっちが狂ってるのかすら分からなくなるが、とにかく、土曜になればやっと、クソ以外に当てはまる言葉が見つからないシステムから解き放たれるのだ。

俺は自分で家で仕事してるので、曜日とかあんま関係なさそう、てか、実際今日が何曜日なのかわからないこともよくある。
が、やはり土曜にならねば仲間と集まって大好きな音楽や色々なことを、心ゆくまで語ることはできないから、きっと同じだ。

こう書くとまるで救いようがないように思えるが、実際そうなんだろう。
しかし、だからこそ、素晴らしいサタデーナイトの曲が生まれ、その一瞬にスパークするんだろう。
土曜、サイコー。

ていう、分かりきったようなことを思い、顔で笑って心でむせび泣いた夜であった。


なんでこんなことを長々書いてるかというと、やっとここにたどり着くのだが、今夜月曜なのに土曜のようなライブがあります。

160606_thunderroads.jpg

本当はもっと早く書こうと思ったんだけど、今週つーか今月、遊びすぎで家にいるときは少しでも仕事を進めなければならないので遅くなりやした。
フツーだったら土曜とかにやりそうなレコ発とかを平日にやる、こういう試みはとても良いですね。
土曜の夜は何度でもあった方がいいに決まってる。
プチ週末も「一週間に二回土曜の夜があったら…」というコンセプトでやってたし!


とりとめのないカンジでしたが、トモダチのライブの宣伝もして、ちゃっかり自分とこの商品の宣伝もして帳尻があったので、ではまた。

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Wild hearts got nowhere to go
No way to sleep, no place to hide
Wild girls, they need you all wild boys
Tough and sweet, long live rock and roll !
Now let's rock!

FIRESTARTER - Saturday Night (Is The End Of The World)より
[ 2016/06/06 ] DIARY | トラックバック(0) | コメント(0) このエントリーをつぶやく
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数年ぶりのラッシュにて 

昨日夕方くらいにネオングループ田村さんから電話があり「今日の今日で悪いんだけど、ラッシュでコバルトタカザワくんとかとダムドのコピーバンドやるんだけど来れない?」つって、やんわりお断りしたんだがw電話の最後がとても残念そうで暗いカンジになってたのでwしばらく経ってかけ直し「やっぱ行きますわw」で、行ってきた。

ラッシュに行くのは、辞めてから1回くらい行ったけど、それっきりでめちゃくちゃ久しぶり。
隣の生花教室も無くなって撮影スタジオかなんかになってたし、楽屋の場所も変わってたし、なんか色々変わってたけど、懐かしいカンジがした。
つーのは嘘でwあんまり久しぶりなカンジもしなかった。
でも、マサルさんもタツももう辞めてて(マサルさんは数日前に辞めたばっかみたいだけど)、知ってる人いないかと思ったが、PAはビーフさんで、これは嬉しかった。

そんで、電話がきた時点でそんなこったろうと思ったけど、歌わされてきたよw
しかもタカザワさんとツインボーカルでw
ギターとドラムの方は初対面だしw
客席はテーブルとイスが出てるカンジのイベントで、オッサン5人が必死でダムドw
しかもニューローズは2回w
さらに、客席にはモールス勢揃いw
まさか10年位前に働いてた職場で、今このシチュエーションで出るとは思わなんだw
その後は何の縁もないバンドを見て帰ったがwなかなか意味不明な風情のある一日でおもろかったなw

俺がしゃしゃり出たのは最後のニューローズだけだけど、この日このバンド(結局バンド名も知らないがw)は二二二、マシンガンエチケット、ラブソング、ダムドのコピバンといいつつサーチアンドデストロイ、あとブッチャーズのバーディーなんかをやってた。
無駄に演奏が良かったのが印象的w

ウエストにも行きたかったが、もう閉まってたので、またの機会に。


そういやラッシュ、11周年らしく、そうするとタシロさんの企画で夜中にネオングループが出たのももうそれくらい前なんだな。
あれがヨメとはじめて行ったデートだよw
[ 2016/06/03 ] DIARY | トラックバック(0) | コメント(0) このエントリーをつぶやく
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赤松物語 誕プレ編 

また2ヶ月以上のブランクです。
昨日は私の誕生日でした。
ということで、普段ツイッターとかフェイスブックで好評不定期連載中の赤松物語を特別にこちらでお送りいたします。
今度からブログ埋めるためにこっちで書こうかな。

俺がまだシェルターでバイトしてる頃、スーパースナッズのトモコさんが誕生日1日違いだったので、シェルターで合同で誕生会やってた。
で、そんときにあいつがプレゼントしてくれたのが、自分のおさがりのクリームソーダのサイフ。

160423_aka_wallet_01.jpg

あいつが死んだときに「そういえば」と思って探したんだけど無くて、こないだ実家帰ったときに探したらあったので、持って帰ってきた。
もらったとき既にクタクタだったが、それから俺もかなりハードに使用してたため、こんな状態に。
てか、こんなにひどかったっけw

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表面にはROCKET FROM THE CRYPTのトリビュート盤が出て、それのレコ発でジョンレイスが来日したときにしてもらったサイン。
ロケットの曲「RUN KID RUN」って書いてくれって言ったら、「RUN KID RUN,FROM POLICE」って、ガイコツまで描いてくれた。

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そんで裏面には、ハノイが来日した時に友達のカメラマン、シバエリさんが「撮影あるけど来る?」と誘ってくれたのでついてったときにマイケルモンローにサインしてもらった。
ハノイの「シャイアン」って曲の歌詞で「SWEET SWEET SOUND OF ROCK'N'ROLL」て部分があって、それを書いてくれって言ったら「SWEET SWEET SOUND OF TRUE ROCK'N'ROLL」と書いてくれた。

俺あんまりサインってもらわないんだけど、どちらもあいつからもらったサイフだったから、たまたまそのときにそれを持ってたから、もらったんだ。

あいつからもらったサイフで、ジョンとマイケルのサインが入ってるんだ。
当時からボロかったけど、愛用したよ。
酷使しすぎてチェーン用に開けた穴(もらったときから開いてたから多分あいつが開けたんだろう)がちぎれちまったから現役を退いたけど。

こんな状態だから恐らく今後サイフとして使用することはないと思うけど、もうちょっととっといてみるよ。
あいつ曰く、死んだ人の想い出の品とかゴミだしサッサと捨てた方がいいみたいなこと言ってたけどw
ゴミばっかり溜まっちまう。

別の誕生日んときはベイリーズをもらったな。
ジョニーサンダースが愛した酒だ、つってさ。
あいつカクヤスでバイトしてたから、きっと店からかっぱらってきたやつだろうけどw
これはさすがにもう飲んじゃって無くなったけど、それからはベイリーズ置いてる店では気が向きゃ飲んでるよ。

あと、俺がシェルター辞めるときにガンズのTシャツもらったり、亡くなる前にもなんか色々もらったけど、俺あいつに何かあげったっけ、そういやわりと最近、古本屋になってから、あいつが「ガンズの初来日のときのツアーパンフあったら買うよ」って言ってて、入ってきたからあいつの誕生日にあげたな、とか思ってたら、こないだまたそのパンフがあった。

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これは来週月曜からある札幌のチカホの催事に出すので、あいつみたいな奴に渡っていけばいいね。

今年のこととか去年のこととかブログのこととか 

気づいたらあっちゅー間に年が明けちまった。
自慢じゃないですが、こう見えて走るのはかなり遅い方なのでw、この歳になると時間にすら追い越されそうですw
なんとか周回遅れにならないよう、今年もがんばります。

今年は~とか去年は~とか言っても、そもそもこのブログ自体、赤松君が亡くなって久しぶりに書いたけど、その前に書いたのは吉村さんが亡くなったときとか、かっさんの結婚パーティーとか、ここ数年、冠婚葬祭のときばかりしゃしゃり出てくるブログに成り果てているので、今年はもう少し他にも書いていくようにがんばります。

日頃書きたいことつーか、このことブログに書こうとか思うことはあるにはあるんだが、如何せん冒頭にも書いたような速度で生きているので、気づいたらブログのネタとしては鮮度が腐りきっていたり、仕事で毎日パソコンと向かい合っているので、仕事以外でパソコンあんまり触りたくなかったり、あとヨメと二人で家で仕事しながら暮らしているので、つまり常に一緒にいるので、「俺達けっこう似てたみたいだぜ(キリッ」とか書いてるところ「何してんの」とか覗きこまれたらサイアクなんですけどwww
皆さんはその辺どうしてるんですかね。
赤松くんは昔タイピングができないとき、ドランクファックスのホームページの日記とかBBSとか、あいつがしゃべってヨメさんが代わりに入力してたみたいだけど。
それくらいになりたいもんですね。


で、あっちゅー間に今年になってしまったので、すでに1週間くらい前のことですが、ここ最近では珍しく2日連続でライブに行ってきました。
まずは、現在シェルターの遅番長の大内君がドラムをやってるペルトリカのライブ。
やってるつーか、この日で大内は脱退ということで、見に行ってきました。
ペルトリカは何年か前にロフトでやるというんで行ったんだが、車で行ったら思った以上に時間がかかり、最後の曲の最後の部分くらいしか見れなかったので、ほぼ初めてだったんだけど、行ってよかったです。
あいつを知ってる人ならわかると思うが、あいつはホント人当たりのいい優しいやつで、シェルターの店員からの人望も厚く、やはりシェルターの店員も見に来ていたし、また、彼のお母さんも来ていたようで、母親への愛も語っておりw、大内の人柄がよく出ていた、とても雰囲気のいいライブでした。

で、そのライブは原宿でやってたんで、終わったあと、すごい久しぶりにウエスト(ラッシュの上にあるレストランというか喫茶店というか。よくここで打ち上げしてた)に行きたくなったので行ってみた。
もしかしたらもう無くなっているのでは、と思ったが、まだあったよ!
でも、その日はもう閉店しており、ガラス越しにおばちゃんに「もう終わり?」てなカンジで指でバツをすると、むこうも申し訳ない、てカンジの笑顔でバツをして、結局入れなかったんだけど、なんだかとても良い気分になって帰った。
またそのうち行こう。

次の日はYOUNG PARISIAN、ネオングループのレオくんがやってるFLASHLIGHTS、BEAT CARAVANなどを見にヘビーシックへ。

あの、幡ヶ谷って京王新線しか止まらなくて、新宿経由で行こうと思うと、わりとどの線からの乗り換えでも京王新線て遠いじゃないですか。
この日も乗り換えめんどくせーな、と思いながら、まあ乗り換えて向かったんですよ。
そしたら、急行かなんかで幡ヶ谷通りすぎて笹塚で降ろされて、結局笹塚から歩いていったよ!
何なんだよ!だったらフツーに京王線走れよ!

そんなわけで1番目のバンドには間に合いませんでしたが、全バンドいかすライブを繰り広げ、トリのYOUNG PARISIANのときには最前で盛り上がって、久々ラメだらけになっちゃったw
その後のFLASHLIGHTSのヒロシ君のDJもサイコーで、飲み過ぎてサイフが底をつき、オオサワさんから金借りてまで飲んでたが、華麗に終電で帰ったのは自分でも奇跡だと思う。


というカンジの2015年師走。

チラ裏みたいな日記だけど、あいつが死んでから思ったんだが、こういう日記が将来的に一番役立つよ。
あいつが死んで、色々思い出を掘り起こしてみたんだが、忘れてることばかりで、というか結局思い出せてることなんて、ほんのちょっとで、思い出せていないことがほとんどなんだろうなと今でも思う。
個々の記憶なんてものはホントに頼りないもので、みんながこうやってブログでも何でも書いて思い出を共有するということは、そういう点で意味があることなんだと思う。


じゃあそろそろヨメが帰ってきそうなので今年もよろしくw
[ 2016/01/01 ] DIARY | トラックバック(0) | コメント(0) このエントリーをつぶやく
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スージー、ラズル、AKA 

今日はジョンレノンの命日でもあると同時にハノイロックスのドラマー、ラズルの命日でもあるというのは今日のホットトピックなので皆さんすでにご存知かと思うが、ラズルはモトリークルーのヴィンスニールが飲酒運転する車に乗ってて事故って死んでしまった、というのももちろんご存知かと思うが、このため、ハノイとモトリーの間には確執があるとファンの間でまことしやかに噂され(実際はしらん)、昔ハノイが来日したとき、ギターのアンディは必ず新宿の某ロックバーに立ち寄るという噂を聞きつけたAKAは仲間と張り込みしw、最初の日はアンディは現れなかったらしいが、懲りずにまた別の日に張り込みしw、ついにアンディに遭遇、サインをもらったり、自分が身につけていたアクセサリーを盗られたりw、色んな話をしたらしいが、そんときドランクファックスのニッキーも一緒にいたらしいんだけど、ニッキーってモトリーのニッキーシックスから名前をとってるので、アンディと過ごしている時間中、とても「ニッキー」とは呼べない緊張感が漂っていたらしいw

俺そんときは一緒にいなかったんだけど、あいつこういう話をホント面白おかしく、細かく話してくれるから、なんだか俺もそこにいたような気がしてた。

マイケルはラズル死後、「11th Street Kidzz」の歌詞の「スージー」の部分を「ラズル」に置き換えて歌っていたが、これから俺の脳内では「スージー」の部分は「AKA」に書き換えられるだろう。



俺の中では三代青春讃歌はコレとクラッシュの「ステイフリー」、スナッズの「シェルター」と決まっている。
YOUNG PARISIANが松本に来てくれたとき、ツネさんは「スージー」を「ホリー」に変えて歌ってくれて、熱くなったよ。

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そしてスージーはヨソの街に行っちまった
あの通りも寂しくなっちまったぜ
11th Street Kidsはどこに行ってしまったんだろう
「Punks Never Die」と壁に落書きしたこと、色々なことを思い出すよ
一晩中あの地下室で過ごしたよな、あの地下室で

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HANOI ROCKS - 11th Street Kidzz
テキトーな訳:俺
[ 2015/12/08 ] DIARY | トラックバック(0) | コメント(0) このエントリーをつぶやく
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アディオスアミーゴ 

最初はまだあいつがOってバンドやってるときで、シェルターの同僚から「堀内さんと赤松さんって似てません?」って言われて「ちょwwあんなのと一緒にすんなよwww」みたいな、なんつーか、「あんなやつは認めん」みたいなカンジだった。

でも、Oはロフトレコードから出してて浦野さんが担当やってたり、そのうちあいつはROCKET Kもやりだしたりで、シェルターに来ることが多くなり、俺もROCKET Kのライブはよく行ってたし、あいつがもういっこやり出したバンドDRUNK FUXも他のメンバー共々ライブの打ち上げとかで飲むようになり、シェルターでも五味とかとガンズやLAメタルの話で盛り上がったり、まるで必然のように仲良くなっていった。

DRUNK FUXのベースだったニッキーはそれ以前にSTRAWBERRYというバンドでよくシェルターに出てて、上で書いたシェルターの同僚(女)は「カッコいいカッコいい」なんて騒いでたんだが、赤松くんとよくつるむようになり、その同僚はニッキーの口調が段々赤松くんみたいになってきたことを嘆いていたなw

その頃は大袈裟じゃなく、ほぼ毎日朝まで飲んでいた。
ほぼ毎日朝まで飲んでるので、常に脳がアルコール漬けみたいなカンジだったから、あんまり記憶が定かじゃないからwあいつが毎日一緒にいたかどうか、よく覚えてないんだけど、でもよく一緒にいたような気がする。
あいつ朝方になると段々ヒゲが濃くなってきてさw
「赤松くん、ドロボーみたいな時間になってきたよw」なんつって。

そのうち俺はシェルターを辞めるんだけど、関係は変ることなく、それまでと同じようにしょっちゅうつるんでいた。

この頃になると、「あんなやつは認めん」どころか「唯一認めるやつ」になってきて、一緒に原宿に服買いに行ったり(男同士のデートだなw)、ROCKET K/DRUNK FUX/BACK DROPSの3バンドでの大阪、浜松ツアーについてって珍道中を繰り広げたり、一緒に朝まで飲んでて、解散し、俺は家に帰って寝てたんだけど、あいつはその後も飲んでたみたいで、ウチに押しかけて来たこともあり(まっぴらだったから開けなかったけどw)、逆に、一緒に飲んでたら「ウチに行こう」って言うんで行ったら奥さんが寝てて、あいつはまた他の友達と飲みに行ったんだけど、俺はもうグロッキーでそのまま何故かあいつのカミさんと一緒にいたりw(別に変なことはしてないよ。ホームページの作り方とか教えてもらってたんだ。念の為w)、より深く関わるようになってきた。

シェルター辞めた前後くらいに俺はロフトで「プチ週末」っていう夜中のイベントを始めるんだけど、やはりこれもゲストDJを含めたら、あいつがダントツで一番出ていただろう。
プチ週末でカバー大会やったときも確かあいつは2バンドで出たんじゃなかったかな。
いつだったかのプチ週末で、真夜中のライブが過ぎても来なかったので「今日は来ないのかな」とか思ってたら、終わる直前くらいにブッチャーズの吉村さんとシェルターの西村さんと3人でギター弾きながら入って来たことがあって、メチャクチャな登場すぎて笑ったよ。

この頃だったと思うんだけど、俺がちょっと苦手な人のオールナイトパーティーにROCKET Kが呼ばれ、古閑さんは「ロケットクルーとしてはゼッタイ来てよ」なんて言ってて、俺は「やだなー」とか思いながら、まあ行ったんだけど、夜中に酒飲んであいつと暴れてたら、そんなことはどうでもよくなってた。
その苦手な人がハノイのモーターベイティンをかけてた真後ろでアンディとマイケルの真似をしてる俺達を見て、その人も嬉しそうだった。

で、そのうち俺は松本でライブハウスの店長をやることになり、当然居もそっちに移すんだけど(ていうかライブハウスに住んでたんだけどw)、それでも月2くらいで下北行ってたし、今度は俺の企画で松本、浜松、下北でROCKET K/DRUNK FUXのツアーをやったり、青春とはまさにこのことでは、という日々を過ごしていた。

そしてその松本のライブハウスは経営難で会社から「たたむ」と言われたんだけど、俺は買い取ってでもやり続けようと、色々なところに相談し、色んな人が協力の姿勢を見せてくれ、ギリギリだけどこれはいけるかも!というところまで話が進んだ頃、あいつから飲みに誘われ、この時のことは何故かよく覚えているんだけど、下北のせっちゃんであいつと二人で飲んでて「ホリーの気持ちはよくわかる。よくわかるが、やめた方がいい」と、ライブハウスを続けようとすることを止められた。
それでも俺は、もう完全に燃えていたから(若さかよw)「いや、でもいけそうなんだよ」とか言って、あいつを困らせていたと、今になって思う。
結局その後、色んな人から止められ、諦めることになるのだが、真っ先に俺の燃える闘魂に水を差したのはあいつだった。
周りが見えなくなってる俺を心配してくれたんだろうな。

そして俺はまた東京に舞い戻り、今度は渋谷のライブハウスで働き始めるんだけど、ここでもやっぱりあいつには随分頼り、ROCKET Kはもちろん、DRUNK FUXもこのちょっと前まで活動休止してたんだが、再開するということで真っ先に声をかけたし、またその後DRUNK FUXが不安定になったときPUBLIC ENEMY #1というバンドをニッキーとはじめ、そのバンドにも何度か出てもらった。
余談だが、あいつが作った曲、ROCKET KやDRUNK FUXでも色々あるが、個人的に一番好きな曲はPUBLIC ENEMY #1の「SLOW SUICIDE」という曲だ。
ライブ会場で売ってたデモしかないので、どうにか広く聴けるようにできればいいのだが…。

渋谷のライブハウスをやめ、次に俺はそれまでの仕事とはまったく関係ない、西新宿の会社で働くんだが、偶然、そんときあいつが働いてた会社もすぐ近くで昼休み合わせて一緒にメシ食ったりしてた。
そのちょっと後くらいに次にあいつはCAT LOVES STRAWBERRYというバンドを作って、俺もそのバンドのホームページ作ったり、そのバンドのレコ発にはDJで誘われたり、相変わらず、良く言えば仲の良い友達なんだけど、まあ、なぁなぁなカンジだよねw

そして俺はその会社もやめ(こう書くと俺やめてばっかじゃねw)、結婚したりして、居を浦和に移し、仕事も自営になり、そうすると以前のように頻繁に下北には行かなくなった。

それでも、大体下北に行くときはあいつと飲むときだったし、あいつがやるイベントにはDJで誘ってくれてた。
この頃に亡くなったあいつの母親(版画家だった)の遺した作品が大量にあり、自分が持っているには持て余してしまうので、どうにかできないかという相談を受け、あいつんちにも行ったが、例により丸投げみたいなカンジでよこそうとするから断ったんだけどw

去年末に夜中あいつから電話がかかってきて、「やばい、下北が退屈だ。つまらなさすぎる」とか言ってたので、「わかった。じゃあ行くよ」と夜中だったけど終電近くの電車で下北に行ったんだ。
あいつが寂しいとか言うんだったら、俺は行くよ。俺達はそういう関係だったんだ。
でも、行ったんだけど、あいつ酔っ払ってその辺のベンチで寝ちまったらしく、連絡がとれなかったよw
結局アテもなく、一晩中下北をさまよい、さすがに俺も怒ったけどねw

俺が古本屋ということで、あいつも本やCDを買取してくれと送ってきたこともあり、あいつ自分でもヤフオクよくやるから嫌な予感はしてたんだけど、査定額出したら「しっぶw」とか言い出して明細も出してくれとか言うんで、じゃあ返送するから自分で売りなよ、つったら「いや、もうホリーに任せたからいいよ。愛してるぜ弟よ」とか言って、文句たれた挙句上から目線かよwとか思った。

こないだの9月末に「家の中がカビだらけになったから、もうモノをすべて処分したい」みたいなよくわからん理由で再度買取を頼まれ、前のこともあるから「査定はこの前と同じカンジだと思うよ」と伝えたら「あんときはイケイケだったから悪かった」と、これまたよくわからんことを言うので「オッケー、じゃあ送ってくれ」と送ってもらったら、本やCDの他にTシャツやらシド・ヴィシャスの写真や人形、バックルなんかのガラクタも入ってて、Tシャツや写真なんかはボロボロで「これじゃちょっとキビシーね」と言うと「それはプレゼントっす」とのことだったので、Tシャツ2枚と人形、バックルだけ残し、あとはソッコー捨てたw
だって、どう考えてもゴミなんだもの。
肝心のCDもどうやったらこんなになるんだよwつーくらいキズだらけで、ユニオンとか色々持ってって、ダメだったやつを送ってきたんじゃないか、と思った。
それでも、それなりの額を提示すると「思ったより高くてよかった」と嬉しそうにしていた。


それから1ヶ月も経たない、10月14日、あいつは死んだ。
39歳の誕生日を迎える1週間前に。
ジョニーサンダースと同じ38歳という年齢で。


ジョニーサンダースの歳を超えることに焦っちまったのかな。
破滅的な男だったから、最初からわかっていたことのような気もする。

一月前の買取も、どういうつもりか、遺品整理みたいになっちまった。

これだけ一緒につるんでいたやつだったから、色んなことを思ったよ。
俺は「こいつが有名になれないんだったら日本は終わってる」とか思ってたけど、そのうち「やっぱこいつじゃ無理だw」と思い、死んだと聞いたときは「ここまでのやつだったんだ」と、死んだやつに水を差すようで悪いが、そう思った。

ただ、本当に色んな思考になったので、ちょっとこういうブログとか書かずにいたんだけど、思考も落ち着き、まとまってきたので、こうして書いてるわけだ。
その落ち着いたところというのは、あいつが「ここまでのやつ」だったかどうかは、結局これからの俺次第なんじゃないか、ということ。
あいつと出会い、あいつと話した言葉が、あいつのひとつひとつの考えが、あいつのカオスの渦が、あいつの優しさが、ともに過ごした、まさに青春と呼ぶに相応しい時が、確実に俺の人生を良い方向へ動かした。

だから俺はこれからもあいつの伝説、伝説というにはちょっと吹き出しちゃうような物語を、ほんの少しずつでも広めていき、俺と同じように、誰かの人生をそれこそミリ単位でもいいから、良い方向に動かしていくんだ。
あいつがよく言っていた「愛」とかいう、それのために。

これが、色々考えた結果、とりあえずまとまった俺の想いだ。

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散々心配かけたよな。俺がケーサツに捕まった!なんてときも、ソッコーあいつから電話きて、次の日には話したこと全部みんなに知れ渡ってたみたいなw
俺も散々心配したし、メーワクも被ったし、助けられたり、助けたり、メチャクチャでアタマに来ることもあったし、でも、そういうのも全部ひっくるめて、俺たちがともに過ごしてきたあの時代は、紛れもなく、青春だったんだ。
青春なんてとっくに終わったと思ってたけど、これで本当に終わったような気がするよ。
もうこんなやつには出会えない気がするし、こんなメチャクチャなやつはもう結構って気もするしね。
これから先も、俺はあの時代を糧に生きていくよ。
メチャクチャな青春を、ありがとう。

いくら寂しくても心配でも、さすがに俺もそっちまでは行けないから、とても寂しいし残念だけど、もう一生、永遠に、お別れだ。


アディオス、アミーゴ
俺たち結構似てたみたいだぜ


aka_hollie.jpg

音楽と思い出 

よく言われるジャイアンや番長といったイメージとは裏腹に、カウンターでひとりで飲んでるときは抜け道のないような怒りというか、悩みというかを、ボソボソと延々と、呟いていた。
そしてやはり、あの人が作る音楽も、常に反逆と苦悩の塊だったように思う。
音楽はどう分類されるのかわからないが、それはパンクのコアな部分であり、俺にはキョーレツなインパクトだった。
音楽を通して、なんというか、男が選ぶ道はイバラの道一択、みたいな精神を教わった気がする。

あるとき、北海道の実家からメロンが送られてきたとかで、それを持ってきた。
そんで、俺がそれを切るんだけど、ホント普通に切ってたんだけど、
「ちょ、あーあ、なんでお前は食べものをそういう風に、あー!もう!」
「なんすかw、じゃあもう吉村さんが切ってくださいよww」
みたいな、あの人からはそういう、よくわからない怒られ方ばっかされていた。
でも、楽しかったし、嬉しかった。

古本屋稼業についてからというもの、とにかく時間に追われている。
毎週月曜と、月二回の火曜に仕入れた本をひたすら仕分けて、磨いて、商品化する。
次の月曜が来るまでに、それができないと、また仕入れてしまうので、すぐに部屋が溢れてしまう。
そうならないよう、ひたすら時間に追われつつ、冷や汗かきつつ。
そんなもんといえば、そんなもんなのかもしれないが、たまには音楽を聞いて頭蓋骨を揺らしたり、思い出を反芻する時間も必要だ。
仕事なんてまた明日やればいいじゃない。

「死ぬ時はリオのカーニバルの真ん中か、AC/DCのライブで死にたい」と言っていた。
リオのカーニバルはよくわかんねえからw、せめてAC/DCで頭蓋骨揺らして、思い出を反芻する。
いつも時間に追われて冷や汗かいてる俺に、そういう大事な時間を置き土産に残していった。

報せをうけてから、色々思い出を掘り起こして、まだまだ足りない気もするけど、いつまでもシケたツラしてはいられない。
また忙しなくやっていくわけなんだけど、ときには残していった音楽や思い出を反芻して、時間に飲み込まれていくアナーキズムを呼び戻すんだ。


たくさんの思い出と音楽をありがとうございました。


「なんでお前はAC/DCなんてかけてるんだ!」
「いやいや、死ぬときはAC/DCのライブがいいって言ってたじゃないすかww」

SUPERSNAZZと友人結婚パーティーと屋形船と 

また随分更新があいてしまった。

その間のできごと。

オジジエイドとか最近の入荷情報とか来週の予定とか 

一昨日は下北のぷあかうで「オジジ救済ナイト」がやってたので行ってきました。

「買い」に東奔西走 

とりあえず、ヤフオク出品制限、解除されました。
プロフィール

HOLLIE

Author:HOLLIE
最近埼玉古書組合に加入し、ネットで古本屋を営んでいます。
不要になった本、CD、DVD、レコードなど買取します。

過去の経歴
下北沢SHELTER~松本RIDEOUT~渋谷LUSHという3つのライブハウスを経て、その間プチ週末というパーティーを新宿LOFTで毎月開催したり、「JUNKSHOP」というライブイベントを不定期に開催していたが、それらの企画は現在休止中。
仕事が落ち着いてきたら、またボチボチやります。

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