よく言われるジャイアンや番長といったイメージとは裏腹に、カウンターでひとりで飲んでるときは抜け道のないような怒りというか、悩みというかを、ボソボソと延々と、呟いていた。
そしてやはり、あの人が作る音楽も、常に反逆と苦悩の塊だったように思う。
音楽はどう分類されるのかわからないが、それはパンクのコアな部分であり、俺にはキョーレツなインパクトだった。
音楽を通して、なんというか、男が選ぶ道はイバラの道一択、みたいな精神を教わった気がする。
あるとき、北海道の実家からメロンが送られてきたとかで、それを持ってきた。
そんで、俺がそれを切るんだけど、ホント普通に切ってたんだけど、
「ちょ、あーあ、なんでお前は食べものをそういう風に、あー!もう!」
「なんすかw、じゃあもう吉村さんが切ってくださいよww」
みたいな、あの人からはそういう、よくわからない怒られ方ばっかされていた。
でも、楽しかったし、嬉しかった。
古本屋稼業についてからというもの、とにかく時間に追われている。
毎週月曜と、月二回の火曜に仕入れた本をひたすら仕分けて、磨いて、商品化する。
次の月曜が来るまでに、それができないと、また仕入れてしまうので、すぐに部屋が溢れてしまう。
そうならないよう、ひたすら時間に追われつつ、冷や汗かきつつ。
そんなもんといえば、そんなもんなのかもしれないが、たまには音楽を聞いて頭蓋骨を揺らしたり、思い出を反芻する時間も必要だ。
仕事なんてまた明日やればいいじゃない。
「死ぬ時はリオのカーニバルの真ん中か、AC/DCのライブで死にたい」と言っていた。
リオのカーニバルはよくわかんねえからw、せめてAC/DCで頭蓋骨揺らして、思い出を反芻する。
いつも時間に追われて冷や汗かいてる俺に、そういう大事な時間を置き土産に残していった。
報せをうけてから、色々思い出を掘り起こして、まだまだ足りない気もするけど、いつまでもシケたツラしてはいられない。
また忙しなくやっていくわけなんだけど、ときには残していった音楽や思い出を反芻して、時間に飲み込まれていくアナーキズムを呼び戻すんだ。
たくさんの思い出と音楽をありがとうございました。
「なんでお前はAC/DCなんてかけてるんだ!」
「いやいや、死ぬときはAC/DCのライブがいいって言ってたじゃないすかww」