人間は男女で脳の作りが大きく異なる。これについては脳科学をはじめあらゆる分野ですでに議論がほぼ終わっていることなのでここに異論を挟まれると話にならないのですが、男は脳の作りによりいわゆる男性的な思考をするものであり逆も然り。また、女でも胎児期に男性ホルモンであるテストステロンを多量に浴びると男性的な思考が強かったり、またその逆も然り。この「男性的、女性的な思考」というのは人類史でもっとも長い期間である狩猟採集期のヒトの行動に由来するところがほとんどであると言われている。つまり考え方の違いというのはバカとかアホで片付くことではなく、そもそもコンピュータOSのカーネルの違いであり今世紀に解決するような問題ではないのだw今般そこらで起きている方針の違いからの対立も大体これで説明がつく。人類が更新世に生存のため肥沃な大地を求め西へ東へ世界各地に拡散していったのを100万年経った今またなぞっているだけなのだ。「俺らはこっちへ行く」「バカ、そっち行ったら死んでしまうぞ!」みたいな。種をリスク分散してどっちかがポシャってもどっちかが残ればオッケーという生存戦略を忠実に遂行しているに過ぎない。ただし、無知とか自己抑制ができないとかは別の話だが。
工学博士である森博嗣氏が昨年出版された「悲観する力」という本がある。これは工学者らしく、物事(特にモノを作る際)はなるべく悲観的(安全側)に考えなければならない、という「悲観」というともすればネガティブに捉えられる思考を肯定的に勧める内容。著者は生死が日常的に隣り合わせであった狩猟民族は悲観的になるのが当たり前で、現代に蔓延する楽観は「農耕民族特有の運を天に任せる心理がベースにあるのでは」と考察する。つまり、この楽観という新しい思考すらも3千~1万年前から人類に備わっているということになる。これは個人の経験や伝聞ではなく遺伝レベルの、すなわち脳のつくりの範疇ということになる。
そんな本著も最後には楽観、悲観バランスをとることが大事というところに落ち着いていた。
楽観に傾きすぎては重大な危機に対し非常に脆く、悲観に傾きすぎては前進しない。
今この混沌を乗り切るのに求められるのはまさにこのバランス力ではないだろうか。
そして人類は脳のつくりを自ら短期間で変えることはできないが、ブレーキを踏んだりバランスを取ることは可能なはずだ。